映画を観る時間がないのか気力がない。
観るDVDは5本ほどあるが、気が向かない。
実家に行った歳に、
やることがないので本を買った。
特に読みたい本があるわけでもない。
伊集院静さんの本を2冊買ってきた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%9B%86%E9%99%A2%E9%9D%99
1)昨日スケッチ (講談社 1996年 のち文庫)⇒2014年だから、18年前。
2)ぼくのボールが君に届けば (講談社 2004年 のち文庫)⇒10年前。
昨日スケッチ(1996年)を読み終えた。短編というかすごく短いので、すぐ読めた。
伊集院ワールドへの招待“放浪”を生きる作家、珠玉の掌篇小説集。
男と女のことはどう書いても結論など出ないことはわかっている。男と女がわからないと言うより、私には自分のことが何もわかってはいないのだ。(中略)特殊な場合を除いて、女に興味がない男はこの世の中にそう数はいまい。それは女にとっての男も同じだ、と私は思っている。──(「あとがき」より)http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2081067
夏目雅子さんの旦那様としか知らない。
読んでみたいという気持ちはあったので、買ってみた。
夏目が闘病中、1億円程の治療費があれば米国での手術も受けさせる事が出来た。しかし当時の伊集院にはその金額が用意できず、それから「二度と金で揺さぶられる人生はしない、どれだけ金を積んできてもビクとも動かない生き方をしていこう」と誓ったという。夏目の死後、伊集院はしばらく表舞台から姿を消し、喧嘩やギャンブル、酒におぼれる生活を送った。
1984年8月27日にかつてカネボウ化粧品の「クッキーフェイス」のCMキャンペーンガールで一緒に仕事をした女優の夏目雅子と7年の交際の後再婚したが、夏目は1985年9月11日に27歳の若さで急性骨髄性白血病で死去した。
エッセイ、小説を含め、夏目雅子をモデルに書かれたものは少ない。夏目の没後25年目に『真っ白な壁』[8]と題した彼女の思い出についての手記を執筆している。執筆にいたった経緯として「今の妻の両親が亡くなって3年経った。両親が生きている間は書かないと約束をしていた」[9]と語っている。
http://kodansha.cplaza.ne.jp/wgendai/article/100906/top_06_01.html
天使のように可憐な彼女。出会い、交際、結婚。だが、幸せな日々は長続きしなかった。血液のがん、白血病を発症し、闘病生活へ。そしてあっという間にあの世へ旅立っていった――彼女と生きた日々、そして残された時間。これまで封印されていた記憶がいま甦る |
「必ず生還させる」 今年の九月で女優、夏目雅子が亡くなって二十五年になります。今でも彼女の命日の前後には私の故郷、山口県防府ほうふ市の我家の菩提寺にある墓には遠くから関係者の方やファンの方が墓参に来られます。有難いことだと思います。 今初夏、本誌の編集長から「夏目さんの特集をしたいので文章を書いてもらえないか」と申し出がありました。どうして、と思いましたが、本誌で一年前から連載をはじめたコラムに一話だけ夏目雅子の死んだ当日の話を少し書いたのが理由だとわかりました。これまでほとんど彼女に関する文章も書かず、取材も受けずにきていたのですが、その時のテーマが人間の生死に関することだったので、その逸話が一番伝わり易いと思って書いたのです。原稿を受け取った担当者も少し驚いて「これ掲載していいのでしょうか」と訊かれたので、かまいません、彼女のことを文章にすることで家族(妻のことです)には前もって話しましたし、どうぞ掲載なさって下さい、と話しました。そのコラムを読んだ友人から酒場で、書いたんだね、と言われ、“もういいだろう”と思ってね、と返答しました。この“もう”というのが正直な気持ちで、それが二十五年という歳月のせいなのか、周囲の状況なのかはっきりしませんが、そのコラムは敢えて書くようにしなくとも書けたので、感情を揺ゆさぶられることもなかったのです。 http://www.ijuin-shizuka.com/ |
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